平安時代の律令の注釈書『令義解(りょうのぎげ)』に鎮花祭のことが記され、春の花びらが散る時に疫神が分散して流行病を起こすために、これを鎮遏(ちんあつ)するために大神神社と狭井神社で祭りを行うとあります。この注釈書からこの祭儀が『大宝律令』(701年)に国家の祭祀として行うことが定められていたことがわかります。
春の大神祭のところでも述べましたが、崇神天皇の御代に疫病が大流行した時、大物主大神が疫病を鎮められました。病気鎮遏(ちんあつ)のご神徳を仰ぎ、更には荒魂(あらみたま)を奉祭する狭井神社の霊威のご発動をも願って、大神神社と狭井神社の二社で鎮花祭が行われたもので、疫病除けの祭典として二千年来の由緒があります。
現在も特殊神饌として、薬草の忍冬(すいかずら)と百合根が供えられます。祭典には奈良・大阪・京都を始め各県の製薬業者や医療関係者が多数参列し、多くの医薬品が奉献されることから「薬まつり」の名でも知られています。 また、当日祭典後より疫病除け「鎮花御幣(ちんかごへい)」と「忍冬酒」が期間限定で授与されます。